みんな大好きなジブリ作品。その中でも、特に人気が高いのが「千と千尋の神隠し」ですよね。

興行収入は300億円を超え、歴代No.1にもなった大ヒット映画です。

ジブリといえば定期的にテレビで再放送されますが、何回見ても飽きないから不思議…。
しかも、見るたびに伏線や関係性が見えてくるので、一生モノの作品ですよね。

あらすじ

トンネルの向こうは、不思議の街でした。
夏のある日、10歳の少女、荻野 千尋(おぎの ちひろ)は、両親とともに車で引越し先の町に向かっていたが[2]、森の中に迷い込み、そこで奇妙なトンネルを見つける。両親は車を停めてトンネルの中へと足を進め、千尋も後を追いかける。トンネルの出口の先には草原の丘が広がっていた。更に先へ進み、小川を渡ると誰もいない町があり、そこには食欲をそそる匂いが漂っていた。両親は匂いの先の店を見つけ、断りもなしにそこに並ぶ料理を食べ始めてしまう。実はそれらの料理は神々の食物であったために両親は呪いを掛けられ、豚になってしまう。一人残された千尋は混乱する内、謎の少年・ハクと出会い、日没の前に再び小川を渡って帰らねば、この世界から戻れなくなってしまうと告げられる。しかし時既に遅く、小川であったはずの場所は海になってしまっていた。千尋は再びハクに会い、千尋のことを知っていること、両親を助けるためにはここで仕事をせねばならないという告げられ、両親を助けようと決心する。

(wikipediaより)

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感想

2001年の公開当初に見たときの感想は、千尋が不思議な空間に迷い込んで、成長しながら困難を乗り越えていく冒険物語、という単純な解釈をしていました。
日本版、不思議の国のアリスみたいな印象でしたね。

中国などアジアを思わせる世界観が、混沌とした世界を連想させて、より想像力を掻き立てられます。
良くモデルだと言われている台湾の九分は、実はモデルではないようですね。
モデルだと聞いて現地に行ったこともあるので、ちょっとショック・・・。
雰囲気は似ていたんですけどね。

背景にアジサイやさつき、椿などの花が咲き乱れ、季節感があべこべなのも面白いです。

大人になるにつれて、これは単なる冒険譚ではなく、様々な伏線のある疑問が残る作品だと気づかされます。
都市伝説なども色々ささやかれていて面白い。

改めて気になった部分と、それに対する解釈をまとめてみました。

①なぜ、タイトルは「神隠し」なのか?

「千と千尋の神隠し」というタイトルだけでも、神秘的なわくわく感が伝わってきますよね。
海外では、「Spirited Away」という題名で放映されました。
「千と千尋の冒険」ではなく、”神隠し”というタイトルなのはなぜなのでしょう?

神隠しとは、山や森などで、人が忽然と姿を消して行方不明になる現象のこと。
普段は全く使う機会がない言葉なのに、意味はなんとなく知っているから不思議ですね。

神隠しは現世とあの世の境を越えてしまうことで起こると考えられています。
映画の中では、高台の住宅地(現世)から、森の古道を進み、川を渡っていくシーンとして描かれています。

映画の最後に、再びこの川を渡って現世に帰ってくると、停めてあった車には葉っぱやホコリが積もっていましたよね。
これは、神隠しに合っていた間にも、時間が進んでいたためです。

単純に異世界に迷い込んだだけでなく、現実でも同じだけ時間が過ぎている。
ここに、「千と千尋の神隠し」が単なる冒険譚ではなく、千尋がかけがえのない時間を実際に過ごしたことが重要である、という意味を感じるのです。

②カオナシとは何者か?何を意味するか?

「アッ…」というモノマネ、みなさん一度はやったことあるのでは?
顔もなくて体も透けているのに、存在感のある脇役「カオナシ」。
千尋になついて、千尋に好かれたいがために周囲をかき乱す、非常に示唆的な存在ですよね。

カオナシが象徴するものとしては、
・千尋を貶める悪魔、サタン
・資本主義が生んだ欲望のかたまり(金塊で人を操るため)
・自分がなく、周りに流されて生きる人の姿

など、様々な解釈があります。

個人的には悪魔とかではなく、アイデンティティを確立できないで悩む心が実体化したもの、といった印象です。

カオナシは人間でもなく、神様でもありません。油屋の従業員たちとも違う存在のようです。
湯婆婆は、「とんでもないものが紛れ込んだ」と言っています。

自分が何者かわからず、他人の姿を借りてしか言葉が話せない。
自分を招き入れてくれた千尋に気に入られたい、そのためには善悪は関係ない。
千尋に受け入れてもらえないなら千尋を憎む。

まるでストーカーみたいですね(笑)

最終的には千尋に手を差し伸べられ、一緒に銭婆の元へ行き、そこで銭婆を手伝うことになります。
周りの助けを素直に受け取って居場所を見るける姿に、誰にでも救いの道があることを感じる、灌漑深いキャラクターです。

③湯婆婆と銭婆の関係性

容姿も声も瓜二つの二人。双子だと言われていますね。

ただ、銭婆のセリフで、「あたしたち二人で一人前なのに気が合わなくてねぇ」という部分があります。
これはさらっと聞き流すこともできますが、深読みすれば、もともとは一つだったものが分裂した姿と捉えることもできます。

銭婆は、名前の割にお金に執着なく穏やかな性格であるのに対し、湯婆婆は宝石を集めて満足そうに眺めたりと、お金にがめつい印象がありますよね。
このあべこべな名前や性格も、二人が合わせて一つの存在であることを表しているのかな、と。

さらに、千尋は銭婆を「おばあちゃん」と呼びますが、その後油屋に戻る最後のシーンで、湯婆婆のことも「おばあちゃん」と呼んでいます。
これは、二人が同じ存在だということを、千尋が感じ取ったからではないでしょうか。

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④名前に込められたメッセージ

「千と千尋の神隠し」の世界では、名前を知られる=支配される、ということになります。
これは、”言霊”の考えに基づくと考えられます。

中国の「西遊記」にも、似たようなシーンがありますよね。
金角大王と銀角大王は、相手の名前を呼ぶことで、ひょうたんにその人を閉じ込めてしまいます。

名前を奪われ、自分でも忘れるということは、自分を見失って完全に他者に支配された状態ということになるのです。

千尋は湯婆婆と契約する際に、自分の名前を間違えて書いています。
これがわざとなのか間違えてしまったのかはわかりませんが、このおかげで完全な支配を逃れたという説も。
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個人的には、ハクに言われるまで名前を忘れかけていたシーンがあったので、この説は完全ではないかなと。
どちらかといえば、ハク(自分以外の他者)が名前を憶えていて、呼んでくれたことが重要なのかなと思います。

⑤なぜ、最後の豚のシーンで、父母がいないとわかったか

これにも様々な憶測があります。
銭婆にもらった髪留めに魔法を見破る力が込めてあったとか、苦団子をかじったので魔法を見破る力がついた、など。

個人的には、千尋自身が成長したことで油屋の洗脳に惑わされない判断ができるようになり、両親が豚ではないことが見えたからではないかと思います。

宮崎駿監督もパンフレットで、千尋が危機に直面することで、もともと備えていた適応力や判断力、行動力に気づくはず、と言及されています。

生きていれば様々な課題が出てくるけれど、それから逃げなければ、自分の中にある適応力や判断力で解決できる、そういったメッセージを伝えるシーンだったのかな?と思います。

おススメ度:★★★★★

文句なし、何度見ても楽しめる作品ですよね。
定期的にテレビでも放送されるでしょうし、これからも見返したい映画の一つです。

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